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八十亀ちゃんイラスト

名古屋は、中世以前から熱田社と湊まちとして栄えていた「熱田」のまちと、徳川家康によって築かれた「名古屋城」とその城下町が骨格となって拡大したまちです。尾張は、織田信長、豊臣秀吉、前田利家など幾多の戦国武将を生み出し、天下統一の舞台となります。慶長15年(1610)、戦国の乱世を制した徳川家康により名古屋城の築城が開始され、清州から名古屋に城下町が移されました(清州越)。名古屋城築城と同じくして堀川が開削され、船による物資の大量輸送が可能となりました。江戸時代には御三家筆頭である尾張藩の城下町として発展し、まつりや芸能を奨励し、「芸どころ名古屋」の礎を築いた第7代尾張藩主徳川宗春など、歴代藩主の治世により、特に茶華道や能など、武家のたしなみとされる文化が花開くとともに、町民にも芝居などの文化が広がり、現代に続く名古屋の文化の礎が築かれていきました。また、街道沿いでは、慶長13年(1608)、藩の奨励により有松が東海道の池鯉鮒宿(ちりゅうのしゅく)と鳴海宿(なるみしゅく)の間に開村されました。この地区に伝わる有松・鳴海絞は、町に最初に移住した竹田庄九郎が考案したと伝えられており、有松は絞染めとともに繁栄しました。