COLUMN 歴史・文化

「名古屋をもっと大好きになるには、名古屋のことを知ることです」
料亭「蔦茂(つたも)」主人 深田正雄さん

2019.05.15

歴史、芸能、食。名古屋の観光を語る上で欠かせない3要素。そのいずれにも造詣が深く、かつ魅力を伝えようと積極的に取り組んでいるのが料亭「蔦茂」の深田正雄さんです。その深田さんに、名古屋の食文化の特色、街の歴史にひそむ魅力、観光の魅力向上の鍵などについて語ってもらいました。(聞き手/フリーライター 大竹敏之)


出汁、地元産調味料にこだわる名古屋の料亭料理

— 深田さんは日頃から“料亭=日本文化のテーマパーク”とおっしゃっています。

深田 「季節感や伝統的な調理法を大切にした料理、建物や庭などの空間、そして芸妓さんのお座敷芸。ただ料理を食べるだけでなく、日本の文化の魅力や特色を総合的に楽しんでいただけるのが料亭です。名古屋の料亭文化は、尾張藩、つまり武家の食事と、茶の湯の文化がひとつになるところから生まれました。明治以降、庶民が人をもてなすようになり、そこに芸者を呼んで楽しんでもらうために食事もつけるようになりました。料亭にはアラカルト(一品料理)が存在せず、季節やお客の好みによって内容を変えながら、料理の流れを組み立てて順番に出していきます。旬の食材で、時々の予算内で最も喜んでもらえるように考えながら料理をつくってお出しする。根底におもてなしの心があるのです」

— 名古屋ならではの料亭料理の特徴はあるのでしょうか?

深田 「まず出汁が“重い”こと。メジマグロと鰹節と合わるのですが、メジマグロは高価な上に傷みやすく、出汁を取るにも手間がかかるため他の地域ではまず使われません。味噌、醤油、みりん、白醤油といった主な調味料も愛知県産を使います。また、尾張は山も海も川も近い恵まれた自然環境にあり、江戸時代から食材が豊富だった。新鮮で良質の素材をふんだんに使えることも、特徴のひとつといえます」


栄・住吉は武家の文化と庶民の文化の交流地

— 「蔦茂」がある栄・住吉町はどんな土地柄なのでしょう?

深田 「住吉は城下町の碁盤割の外に位置します。江戸時代に最も栄えたのはもう少し北の現在の錦通り界隈の旧・蒲焼町で、ところが大火で被災してにぎわいの中心が広小路まで南下した。住吉はそこからまた少し南にありますから、よそから来た遊び人たちが集まる場所で、そのため気楽に遊べる場所が多かった。明治以降に料亭文化が発展すると、この界隈だけで20軒以上の料亭がありました。その頃は“三業の町”と呼ばれ、すなわち料亭、芸者、置屋が集まった場所でした」

— 名古屋は昔から“芸どころ”と呼ばれます。

深田 「尾張7代藩主・宗春の時代に華開きました。尾張藩士・朝日文左衛門(当時の城下の様子を詳細に記録した日記『鸚鵡籠中記』の著者)も、住吉を通って芸どころの中心である大須へ遊びに行っていました。武家と庶民の文化が交流して生まれ育った文化といえます。明治以降は料亭が発展して、庶民も芸者遊びを楽しむようになった。近年は名古屋の芸妓もずい分減ってしまいましたが、昨年は新人2人がデビューしました」

— 名古屋市が毎年秋に開催している「やっとかめ文化祭」では、名古屋のお座敷芸である金の鯱をみんなで披露する「しゃちほこチャレンジプロジェクト」も目玉のひとつになっています。オープンな場で芸の面白さにふれて、本来披露される場所である料亭にも関心をもってもらえるきっかけになるといいですね。


人と人との交流が町づくり、おもてなしにつながる

深田 「洋の東西を問わず、人と人を交わらせることが一番のおもてなしです。帰国後は様々な分野の人たちが交流する会をつくり、その活動は現在も続いています」

— 名古屋は様々な業界で同業者同士の仲がよく、勉強会などを開いて交流する機会も多い。深田さんの活動はその先駆けですね。

深田 「住吉界隈も飲食店同士で仲がいいですね。横のつながりを大切にするのが名古屋らしさ。それが街づくりにつながるし、最終的には街へ来てくれる人へのおもてなしにもつながります」


古代から近代まで。名古屋の歴史は隠れた魅力がいっぱい

— 今後、名古屋が観光でアピールしていくべきポイントは?

深田 「歴史、文化でしょう。石器時代からの文化がこの地にはあるんです。4万年前、現在の栄小学校のあたりに古代人が暮らしていた。エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の世界四大文明と並ぶ5つ目の文明が、実はこの栄にあったと私は思っているんです(笑)」

— 戦国~江戸にかけての武将文化は広く知られるようになりましたが、何とそこからまたはるかにさかのぼるとは!

深田 「逆に近代に目を向けても面白い。名古屋には信長・秀吉・家康の三英傑だけでなく、“街づくりの三英傑”がいたんです。1人は松井武兵衛。家康の命を請け、城下町の設計をし、碁盤割の区画をつくった人物です。現在の武平町は彼の功績を称えてつけられた地名なんですよ。次が初代名古屋区長(現在の市長)・吉田禄在。中山道ルートが有力だった本州の鉄道路線計画を名古屋を通る東海道ルートへ変更させ、さらに笹島駅と広小路通を結び栄に県庁を置くなど、名古屋の都市機能の基盤を築きました。3人目が田淵寿郎。戦後復興にいち早く着手して100m道路に象徴される広い道路や公園をつくり、中心部の墓地を平和公園に移すなど現在の名古屋の街のグランドデザインを描き、実現させました。こういう街づくりの歴史のつながりが分かると、街の成り立ちが立体的に浮き上がってきます」

— 地元の人でもまだまだ知らないことが多いですね。

深田 「名古屋をもっと大好きになるためには、まず地元の人が地元のことを知ることです。そこから好きという気持ちも生まれてくる。知らないと、好きにはなれませんからね」


深田正雄
1948(昭和23)年生まれ。大正2年創業の料亭「蔦茂(つたも)」の3代目。一橋大学商学部卒業後、渡米してフロリダ州オークランドホテルの支配人などを務める。1983年に帰国し、異業種交流会・名古屋経営研究会を発足。1995年、蔦茂の社長に就任。2007年に栄ミナミ地域活性化協議会を立ち上げ、「栄ミナミ音楽祭」などを主催する。料亭「蔦茂」は100年余り続いた創業地から約50m離れた場所に移転し、2018年6月にリニューアルオープンした。

★もっとポイント
●大正2年(1913年)創業以来100有余年の歴史を紡いできた料亭「蔦茂(つたも)」のこだわり

名古屋らしさ、魅力を料理で伝えるため、素材を目の前に説明をしながら調理をするようにしているのだとか。魅せることを基本として、調理場を見えるように魚などを目の前でさばいて調理されています。100有余年受け継がれた伝統の味わい、匠の技を生かしながらも、常に新たな挑戦を続け、この地の食文化を彩っています。

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