COLUMN なごやめし

なごやめしの魅力を世界に発信「なごやめしサミット」
あなたの知らない「なごやめしの秘密」

2019.03.22

 「コラボで広がる!なごやめしの魅力と発信力」をテーマに、なごやめし普及促進協議会による初の「なごやめしサミット」が、2019年1月31日(木)名古屋国際会議場にて開催されました。
 なごやめし普及促進協議会は、なごやめしの魅力を世界に発信し、国内外から名古屋に観光客をよび込むことを目的として2015年に発足。現在約180社の業者が「なごやめしPR協力事業者」として登録されています。

 なごやめしサミットは、書籍「名古屋の喫茶店」「名古屋めし」「なごやじまん」などを出版されている協議会アドバイザー大竹敏之氏の講演、コラボの事例紹介や座談会、交流会の3部構成。特別ゲストの元中日ドラゴンズの選手である山﨑武司氏が登壇し、「なごやめし応援大使」に就任することが発表されました。山崎氏は生まれも育ちも愛知県。
 「プロ野球選手として全国をめぐりおいしい食事を食べる機会も多いです。その中で、なごやめしを食べたいというファンの声もたくさんいただきます。そのような声に応えていけるように色々な場所でなごやめしをアピールしていきたいと思っています」と意気込みを語られました。

 名古屋ネタライターとしておなじみの大竹敏之氏。「あなたの知らない“真実のなごやめし”」と題して行われた講演では、なごやめしのルーツから、誤解だらけのなごやめしの実情など、なごやめしの興味深く思わず「へえ~」っとうなずく内容がいっぱい。
 今当たり前に使っている‘なごやめし’という言葉は、実は東京から逆輸入で名古屋に入ってきたんです。生まれたのは2001年。名古屋の飲食企業ZETTONが東京に1号店を出店した際、味噌串カツや石焼ひつまぶしなどを店舗で提供しました。東京の記者の人は食べたこともなく、イメージができない。そこで当時の社長であった稲本氏が「名古屋めし」にしようといい、なごやめしという言葉が生まれ定着しました。その当時、名古屋の有名企業が東京に進出しており、新店オープンするたびに、なごやめしとして紹介され、「なごやめし」というフレーズがあると、一つのムーブメントとして紹介しやすくなるとして盛んに使われるようになったのだとか。

 なごやめしといえば「うまみが豊富でインパクトが強く、食べ応えがあり、こってりとした濃厚な味わい」が特徴。そのうまみの基盤を支えるのが味噌文化、豆味噌(赤味噌)です。原料は大豆と塩だけと至極シンプル。生産も消費も東海地方だけ。生産・消費量は味噌全体のわずか10%程度。全国では米味噌や麦味噌が主流で、豆味噌は東海地方以外ではあまり食されていません。豆味噌は、米味噌や麦味噌と比べて長期熟成されるのでうまみ成分が約2倍!うまみが強い豆味噌文化があったからこそ、なごやめしはうまみが強く、クセになる、また食べたくなる食文化となったといいます。なごやめしは地域の伝統と風土に根ざし発展してきました。

 うまみが濃い食べ物の強みとしては、足し算がしやすいことが特徴。京料理は引き算の料理といわれますが、名古屋の料理は、かけ合わせてさらにおいしい。小倉+トースト、みそ+かつなど、うまみが濃いとかけ合わせても味が損なわれないので、名古屋はどんどん独自の食文化が生まれたのではないでしょうか。

 名古屋は喫茶店も多く、モーニングも一種のなごやめし。モーニングも誤解が多い分野なのだとか。名古屋はがめついからたくさんモーニングに特典をつけてると思われていますが、江戸まで戻り茶の湯の文化が背景にあるのではないかと大竹さんは考えています。
 尾張、三河は環境に恵まれており、木曽三川の水、天気が良いと農作物を作るのに恵まれています。大きな深刻な飢饉が少なかったため、一般商人たちにも一服するという習慣が根付いており、農作業の合間に飲む「のら茶」が主流となりました。戦後になって産業構造が変わり、一般企業が増えましたが、一服したいという思いが他のエリアより強く、そのため喫茶店がたくさんでき、茶の湯に通じる「おもてなしの心」がお店側にあり、あれやこれやおまけをつけようという文化が生まれたのではないかと考察されています。
 「名古屋のモーニング文化はおもてなしの心、伝統が受け継がれて今に残る文化」

 第二部のシンポジウムではカルビー株式会社、株式会社伊藤園のコラボ事例が紹介されました。中でも面白いと感じたのはカルビー株式会社さんの事例です。登壇したマーケティング部ポテトチップス部ベーシック課三井剛氏は、プロ野球チップスを10年以上担当、4000枚以上カードを作成。なごやめし応援大使の山崎氏のカードを作ったこともあるのだとか。
 福島名物のいかにんじん味ポテトチップスが大ヒットしたことから、「♥JPN(ラブ ジャパン)」プロジェクトを発足し、47都道府県の地元の味を再現したポテトチップス50種類を発売しています。第一弾として2017年9月に発売された「手羽先味」。売り場ではわが県の味を売りたいと活発化しました。プレゼントキャンペーンでは55万通も応募があり、郷土の味を多くの人に知ってもらいたい、懐かしいなどの声が届いたそうです。普段ポテトチップスを買わない6%の層が、ご当地のポテチは購入しているのだそう。2018年は「地元の元気を、日本の元気に!」をコンセプトに誰でも参加可能なコミュニティサイトを作り、味のアイデアを募集。ワークショップを開催し、試作品を食べ、パッケージを決め、出来上がったのが「台湾ラーメン味」です。地元で愛されている味が全国で食べられるのはとても嬉しいですね。

もっとポイント
●豆味噌があったから天下をとれた?!

 豆味噌は東海地方で生産、消費されていますが、家康が囲い込んだのではないかという説があるそうです。この地域は武将も多く、三河武士、尾張武士は粘り強く戦ったので天下を取れたといわれています。この豆味噌こそが天下を取る源になったのだとか。

 花火(火薬)は豊川、岡崎など三河地方だけで許したもの。他のエリアでは作られませんでした。武器になるものは作らせなかったのと同じく、豆味噌も武士を強くさせないようにそうしたのではないかといわれています。全国にこの味噌が伝わったら、他の武士が強くなるのではないかと家康は考え豆味噌を他エリアに流通させなかったのかもしれません。

 次回は、名古屋人が大好きなモーニングはもちろん、名古屋の喫茶店文化の歴史についてお届け予定です。

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